研究内容
代謝物によるシグナル伝達
メチルグリオキサール代謝と浸透圧ストレス応答
解糖系は生物種を超えて普遍的なエネルギー生産系です。その解糖系からメチルグリオキサール(MG)という物質が生成します。MGは解糖系から生成するにもかかわらず、あらゆる細胞の生育を阻害してしまいます。なぜそのような物質が、しかも解糖系から生成するのかについては長年の謎となっています。われわれは酵母を使ってMG代謝について遺伝生化学的解析を行い、グリオキサラーゼIという酵素が重要な働きをしていることを明らかにしました。
さらにわれわれは、グリオキサラーゼIをコードするGLO1遺伝子の発現が浸透圧ストレス下でHOG-MAPキナーゼ系によって発現制御されていることを明らかにしました。また、GLO1遺伝子のプロモーターにはSTRE(stress response element)というcis-配列が存在しますが、GLO1遺伝子の浸透圧ストレス応答はSTREに結合する転写制御因子Msn2とMsn4により制御されていました。
GLO1遺伝子の発現が浸透圧ストレスに応答する生化学的意義についても解析を行いました。酵母は高浸透圧ストレスにされされた時、細胞内外の浸透圧差を解消するために適合溶質であるグリセロールを合成・蓄積します。グリセロールの合成は、解糖系のジヒドロキシアセトンリン酸からグリセロール-3-リン酸脱水素酵素(GPD1遺伝子産物)によってグリセロール-3-リン酸となり、これがグリセロール-3-リン酸ホスファターゼ(GPP2遺伝子産物)によってグリセロールとなります。GPD1遺伝子もGPP2遺伝子も浸透圧ストレスによって発現誘導されます。われわれは、酵母に浸透圧ストレスを与えるとグルコースの消費速度が上昇することを見いだし、グリセロールを合成するための合目的的代謝制御のための遺伝子発現が行われていることを明らかにしました。すなわち、解糖系からグリセロール合成へのfluxが上昇する際に不可避的に派生するMGを速やかに解毒代謝するために、GLO1遺伝子の発現誘導が起こるものと考えられました。
メチルグリオキサールによる転写因子Yap1の活性化
転写因子Yap1の標的遺伝子にはグルタチオン合成に必要な酵素や、グルタチオンを使った抗酸化系、あるいは毒物代謝系が含まれています。しかし、グリオキサラーゼIはMGをグルタチオン依存的に代謝するにも関わらず、その構造遺伝子GLO1はYap1の標的遺伝子ではありません。しかしながら、大変興味深いことに、われわれはMGの代謝に異常をきたしているglo1∆株ではYap1が構成的に活性化していることを見出しました。その機構の詳細な解析から、MGはYap1のc-CRD領域のシステイン残基を翻訳後修飾することにより活性化していること明らかにしました。また、MGによる活性化はH2O2によるレドックス制御とは異なり、ジスルフィド形成を介さないものでした。この発見は細胞内でのMGの機能を明らかにする上で、非常に大きな手がかりになるはずです。
活性酸素ストレス応答
活性酸素消去機構の戦略と進化
好気的生物は酸素を利用して呼吸することによってエネルギーであるATPを効率よく生産しています。しかし、その過程で、いわゆる活性酸素が発生します。生物は活性酸素を消去するための様々な抗酸化酵素や抗酸化性物質を持ちますが、グルタチオンは重要な抗酸化性物質の一つです。動物細胞ではグルタチオンを電子供与体とするグルタチオンペルオキシダーゼ(GPx)が抗酸化酵素として広く知られています。しかし微生物は細胞内にグルタチオンを豊富に持つにも拘らず、「微生物ではグルタチオンを用いる抗酸化系は存在しないのではないか?」と考えられてきました。われわれはHansenula mrakiiという酵母から、生体膜の構成成分であるリン脂質の過酸化物に作用できる膜結合型GPxを初めて見いだすとともに、それが活性酸素が多く発生するミトコンドリアの内膜に結合して存在することを明らかにしてきました。またわれわれはS. cerevisiaeが3つのGPxホモログ遺伝子(GPX1、GPX2、GPX3)をもつことも明らかにしました。
われわれは、S. cerevisiaeのそれら3つのGPx遺伝子のうち、GPX2遺伝子の発現が活性酸素ストレスによりYap1とSkn7という2つの転写因子によって厳密に制御されていることを明らかにしました。また興味深いことに、GPX2遺伝子の発現はカルシウムにより誘導されました。その誘導にはカルシニューリンというプロテインホスファターゼと、Crz1という転写因子により制御されていることを明らかにしました。なぜカルシウムによりGPX2遺伝子の発現が制御されなければならないのか?わたくしたちはその疑問に取り組んでいます。
活性酸素ストレス応答と転写因子Yap1
真核生物である酵母では、細胞質と核が「核膜」という膜によって隔てられています。一方、細胞の外で起こった環境変化(ストレス)は、細胞膜、細胞質を経て核へとシグナルが伝えられていき、ストレス応答に必要な遺伝子の発現が誘導されます。真核生物では空間的に隔たった場へシグナルを伝達するための巧妙な機構が存在しています。われわれは活性酸素ストレス応答において重要な役割を演じているYap1という転写因子が、どのように活性酸素ストレスを感知し、それを標的遺伝子の転写へとつなげているのかを解析しています。 Yap1は通常の状態でも細胞質から核へ移行します。しかし、Crm1というタンパク質の働きによって速やかに核外へ輸送され、結果的にYap1の多くは細胞質に存在します。ところが、活性酸素ストレス条件下ではCrm1とYap1の相互作用が阻害されYap1は核の中に局在し、その結果、標的遺伝子の発現を活性化します。われわれは、GPX2やGSH2など、いくつかのYap1標的遺伝子を明らかにするとともに、チオレドキシンというチオール-ジスルフィドオキシドレダクターゼをコードする遺伝子を破壊(trx1Δtrx2Δ)すると、Yap1が常に核内に存在するようになり、標的遺伝子の転写が活性化されることを見出しました。Yap1は合計6個のシステイン残基を持っていますが、そのうちの3個はC末端付近のCrm1と相互作用する部位に存在しています。チオレドキシンはタンパク質のジスルフィド結合(SS結合)を還元する酵素であり、Yap1はこれらシステイン残基のレドックス(酸化・還元)状態の変化によりその活性が制御されていることを明らかにしました。
グルコース枯渇によるGPX1遺伝子の発現制御
GPX1遺伝子は対数増殖期にはほとんど発現しておらず、グルコースが枯渇した時と、カルシウムを添加した時に発現レベルが大幅に上昇することがわかりました。Msn2とMsn4というストレス応答性の転写因子がGPX1遺伝子の発現に関わっていました。グルコース枯渇時におけるGPX1遺伝子の発現上昇は、Ras/cAMP系の不活性化によるMsn2/Msn4の核移行と、哺乳類AMPKのホモログであるSnf1キナーゼの活性化に依存していました。
GPX1遺伝子のカルシウム処理による発現上昇のメカニズムを詳しく調べると、カルシウム処理がプロテインキナーゼAのダウンレギュレーションとSnf1キナーゼの活性化を引き起こすことでGPX1遺伝子の発現を上昇させており、カルシウム処理がグルコース枯渇と同様のシグナルを流していることを初めて見いだしました。
グリセロール培地での生育を見ると、GPX1遺伝子が欠損した酵母細胞では生育が低下することも見いだし、Gpx1がグルコース枯渇条件下での酸化的ストレスの除去に役立っている可能性が示唆されました。